インターネット・バイキング

数日前、とあるポケモン実況者のツイートが目に留まった。正体の言及もツイートの埋め込みも念のため控えておくが、その内容は「ポケモン徹底攻略の育成論に打ち消し線を入れるのをやめろ」というものだった。Twitterではそれ以上の言及がなかったため真意は掴みかねるが、例えば、

『ブースターは特殊方面の耐久は低くない一方で、物理方面の耐久面がかなり脆いです。あんなにもふもふしてるのに...。

みたいなもののことを言ってると思われる。そして、そのツイートへの反応を見ると、「ノリが古い」「キツイ」「滑っていて見ててつらい」「自我を出すな」といった、なかなか手厳しい内容が並んでいた。
ちなみに、僕は打ち消し線の文言は結構好きだ。堅苦しい育成論は、読んでて息が詰まってしまう。その冗談が小粋か上手いかは置いておいて、冗談を言う人は素直に好きである。過去にこのブログ内でも使ったことがあるはずだ。


さて、この認識の違いについて、少し考えてみようと思う。一応僕も物書きの端くれをしているので、その視点から見るとなかなかに興味深い題材だ。ちなみに、もしも発言元の真の主張が「ポケモン徹底攻略は他人の土俵だから個人ブログのノリを出すな」というもので、それに反応した声が「育成論の打ち消し線の内容は雑音だからやめろ」と解釈しているようなケースだった場合、この記事での議論が少々見当違いになることを予めご容赦いただきたい。この記事での問題提起は、『打ち消し線で記述される冗談があるポケモン育成論の可否について』とする。

ポケモン育成論の方向性

まずは、そもそも『ポケモン育成論とはどういうものか』を考えてみる。おそらく、それに対する答えは各々なんとなく持っているはずだ。ただ、人によってその捉え方は異なり、だから認識や書き方の違いが生まれる。それを考えてみる。

ポケモン育成論は誰のため

文章は、誰かに伝えるためにしたためるものである。だから、物書きになる第一歩として、『読者を知る』というものがある。そこで、ポケモン育成論の読者を考えよう。明らかに見えているターゲットだけでなく、自分がどういう時に育成論を必要とするかを考えると、次のような読者が想定できる。

  • そのポケモンのテンプレートを知りたい人
  • そのポケモンを育ててみたいが、何ができるか知りたい人
  • おおよその役割が決まっているが、そのポケモンの詳しい調整を知りたい人
  • 別に何か目的があったわけではないけど、見出しに釣られた人
  • 結果を残した構築や流行りを知りたい人
  • 書き手を追いかけている人
  • 実況者などのネタ探し
  • 自分用の備忘録

こんなところだろうか。これをベースに考えてみることにする。ただし、最後の"自分用の備忘録"については勝手にしてほしい。この記事では考慮しない。

ポケモン育成論をどう書くか

物書きにとって、読み手を獲得する切り札は『共感』である。だから、読者の目的を汲み取ることは、読まれる文章を書く上では欠かせない。上にあげた備忘録以外の7つの読者層は、次のような目的を持っていると大別されるだろう。

  • ポケモンが決まっていて、その運用を知る
  • 運用が決まっていて、それができるポケモンを知る
  • 対戦で結果を出したい
  • その人の文を読みたい
  • ただの話題探し

つまるところ、ポケモン育成論を読む目的は、ポケモン、運用、戦績、書き手、話題の5つになる。ただし、複数の目的を持って記事を開く読者がいることも注意したい。

打ち消し線が許されるラインを考える

本題の『打ち消し線で記述される冗談があるポケモン育成論の可否について』を考えていく。基本的に、打ち消し線で記述される冗談は、記事にとっては雑音であることが多い。この雑音が許されるラインを探ろう。

まずは、極端な例を考える。先ほど、記事には『共感』が不可欠であることを述べた。したがって、"対戦で結果を出したい"という、真面目に情報収集をしたい読者からすれば、当然打ち消し線で記述される冗談は不要とされるだろう。もしかしたら、導入文でさえも煩わしいかもしれない。個体別解説、運用方法、構築例、苦手な相手、改善案くらいが書いてあれば十分かもしれない。すごく淡泊な記事になるとは思うが、コンセプトが明確だったり結果を出していたりすれば、必ず読者がいるはずだ。
対称的に、"その人の文を読みたい"という書き手を目的とした読者になら、打ち消し線はむしろ好まれると思う。ガンガン自我を出していこう。ただ、他のコンテンツとのギャップだけは気にした方がいい。余計な打ち消し線は、読者が離れる理由になりかねない。

次に、ケースバイケースだろうと思われる例を考える。境界線を見定めるのがなかなか難しいので、もしかしたら見当違いな話をするかもしれないがご容赦いただきたい。
まず、"ポケモンが決まっていて、その運用を知りたい"人を考える。そんな読者には、打ち消し線は嫌われづらいかもしれない。"かもしれない"というのは、テンプレートやそのポケモンができることだけが知りたい読者には、導入文さえ不要だからである。しかし一方で、『採用理由は愛』のタグを好んで漁る読者なら、きっと打ち消し線の冗談もニコニコして読んでいるはずだ。
"運用が決まっていて、それができるポケモンを探している"という読者は、タイトル、技構成、コンセプト、強い味方を見て記事に来ることが多いと思う。だから、それが真面目な理由からなのか、ちょっと悪い戦い方をしてやろうくらいの気持ちからなのかで、読者層は大分違ってくる。無難に済ませたいなら、記事の肝となる部分は打ち消し線を使わず、簡潔かつ真面目に書くべきだと思う。それ以外は、読み飛ばしても不都合がないようにする。そして、その読み飛ばされても問題ない場所で、好きなだけ愛を語るといい。『採用理由は愛』のタグが目に留まる人なら、その文章が例えVtuberへのキツい赤スパみたいになっても読んでくれるだろう。
最後に、ただの"話題探し"で読んでいる読者である。これが難しい。単純に、お話が好きなら冗談にも乗ってくれると思う。書き手、読み手の人柄に大きく依存するので、ここで細かく言及してもきっと徒労だ。


以上を総括すると、次のようにまとめられる。

  • 王道な記事には打ち消し線を使わない
  • 本当に強くなりたい読者が想定される記事には打ち消し線を使わない
  • 打ち消し線は、『採用理由は愛』の記事、もしくはそのパートで使う
  • 著者本人にスポットライトが当たる場合には、その限りではない

こう見ると、『そこに自我が求められているのか』が大きな境目のように見える。これを『"ポケモン徹底攻略という他人の土俵の"育成論でやっていいのか』と考えるならば、そこに賛否が生まれるのは納得できる。個人的には管理者の意見が気になるところだ。

個人的な見解

さて、ここまで理論をこねくり回してきたが、そろそろ僕の見解を述べておこう。結論としては、「気に入らないなら黙って読み飛ばせ」の一言である。なぜなら、管理者がそれを規制していないからである。それに尽きる。前述のように、ポケモンの育成論には、これだけの読者が想定される。だから、その記事が肌に合わないと思うなら、それはたまたま自分がその顧客ではなかったというだけの話である。しかも、自ら手を挙げて記事を書くような人間を相手に、承認欲求を抑えろとか自我を出すなとかいうのはどうやったって無理な話である。それをわざわざ管理者でもない人間が「この書き方が気に食わない」と言うのは、あまりに野暮で高慢だと思う。ツイッターで流れてきただけの興味の無いツイートに対して、「興味ないから黙ってください」とでも言うのだろうか。やっていることは、そんな言いがかりをつける当たり屋と同じであろう。もっとも、たまたまTwitterで流れてきた1個人の1ツイートに食い付いてこんな記事を書いている僕も当たり屋である。「物書きとして気になった」、「興味深い題材だ」、だからどうしたという話だ。どれもこれも、自己満足以上の価値はない。

ただ、これはポケモン育成論に限った話ではない。この世の中、見渡せば多くのコンテンツがある。わざわざ嫌いな俳優が出ている映画を見るのか。わざわざ好きでもない人間の実況動画を開くのか。ここ数年で、人間はSNSやインターネットという世界中を自由に飛び回れる翼を手に入れた。しかし、だからといって、少々横柄になりすぎではないだろうか。食べないものは皿に取らない。取った物は責任を持って自分で何とかする。行動範囲が広まっても、やることはホテルのバイキングとなんら変わらない。だから、そのマナーもホテルのバイキングとは変わらないはずである。

さいごに

ポケモン育成論の話をした。これだけ読者の話をしたが、読み物であるはずのこのブログは読者を想定していない。Twitterでのツイートの延長であり、備忘録くらいに思っている。だから、誰かに何かリアクションをもらったところで、特に何も変わらない。僕がちょっと嬉しいくらいである。都合が悪ければシカトするだけだ。

この料理も、気に入らなければ食べなければいい。それだけだ。